| 後にも先にも「そば」しか有りません |
親爺の事
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東京は下町、本所生まれ、最近読んだ「竿忠の寝言」の中に六代前の「越後屋忠兵衛」と言う人は、偶然にも今は亡きミツエバーちゃんの住んでいた、新潟県(旧頚城郡)出身と分かり、僕は六世代と判明「江戸っ子の端くれ」の端くれ?だそうだ 幼少の頃、石川県は穴水町(現鳳珠郡穴水町)に疎開、その後、金沢、大阪、東京、金沢近辺をあちこち、平成六年ここ鳥越(現白山市)
に至る25歳頃、現在でも「心の師」と仰ぐ、新潟は
小千谷市出身の「小千谷小町」と呼ばれたミツエばー
ちゃんに出合う、ばーちゃんの打つ「そば」こ、れ、が、絶品!なんです 毎年暮れから正月三が日は「風呂入れーまた食えるよー」を実行御節そっちのけで「そば」だけ食って過ごした、元来好奇心旺盛なオヤジ、興味シンシン、早速、無理やり、手解きを「質濃く」「シツッコク」手に入れた、以後自分で打ち、食べ歩き、ある年の秋、福井県
は池田町の「そば打ち道場」で食した「おろしそば」
こ、れ、に、感動 四年間その道場へ毎週200Km
を通い、そば打ちに没頭、地元に技術を持ち返り、今
では沢山の仲間がそば屋を始めた 現在、ミツエばーちゃんの「心で打つ蕎麦」を求めて
精進する今日この頃です
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| (とうへんぼく とは、下町で叱る時「この とうへんぼくー」と言ったりします) |
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こーんな感じの「とうへん木」ですから そばへの思い入れが激しすぎ
お客様には天ぷら出せのコーヒー位出せの 果ては
「なんやい そば しかないのかー」ほんなら帰るわーと、言われる始末
心の中では「とうへん木は そば屋 なんです」と日々つぶやきながら・・・・・・ |
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